DMZへ——
「となりの国」を
自分の目で見に行った話
初!韓国旅行。
10月中旬に2泊3日で行ってきました
目的―――
同じ民族、地続き、でも分断という現実を感じに
北朝鮮と韓国——同じ半島に暮らし
同じ言葉を話す人びとが、一本の線で分けられています
日本も同じように南北に長い国。
もし真ん中に線が引かれて
行き来できず
互いに監視し合うようになったら…
と想像してみても
やはり現実味がありません。
しかも、北側の背後にはロシアと中国
南側にはアメリカという大国がつき
朝鮮半島の問題はすでに半島だけの話ではなく
国際関係の中に組み込まれています。
韓国側から見える北朝鮮の姿を
自分の目で確かめたい!
という衝動に駆られ、二週間後に渡韓しました
常に敵国の侵略の脅威にさらされている現状とは。。。
あと!
先月観た韓国ドラマ『愛の不時着』で
北と南の分断が分かりやすく描かれていて
撮影地とされる「DMZ(非武装地帯)」を見たい!という理由もあります。
(ドラマは北朝鮮出身者も制作に関わったそう)
🗺️ ① 南北の境界線へ
赤:北朝鮮
緑:DMZ非武装地帯←◯目的地◯
青:韓国

▼GoogleMAPのスクショです
38度線ですね

▼検問があり
パスポートをチェックできたら
敷地内に入れます

▼道路沿いには鉄線が永遠と続く
奥の陸地が北朝鮮領土

▼ DMZ(非武装地帯)へ

▼境界線で有名なのは:
板門店(パンムンジョム):
↓こちら↓
手前「北朝鮮」、奥「韓国」(参考画像)

今回、ここに行く予定だったけれど
現在南北関係が悪化していて立入禁止💦
なので、展望台から北朝鮮を見ます。
▼展望台への坂道
正面に見える鉄塔の場所は北朝鮮
あちらこちらに監視カメラがあり
堂々と撮影できません。コソコソ

🧭 展望所から北朝鮮を見る
現在、
携帯電話等の機器が持ち込み禁止で
写真取れませんでした
▼他サイトのイメージ画

こんな感じで
望遠鏡なしでも
北朝鮮の様子が肉眼で見える近さ
天気に恵まれ、
集落や畑の畝、
人の動きまでよく見えました
ここまでは普通の光景。
普通ではない光景も↓
川を挟んで向かい合う南北の監視施設
電波妨害設備
斜面を削って人が隠れにくく整えられた山肌
あちらこちらに掲げられた
大きなハングル標語は、
赤い文字やサイズ感からプロパガンダの意図がはっきり伝わってきます
(「政府・党・指導者への忠誠」「自力更生」など)。
また、建物が韓国側に向けて窓を並べている点にも違和感が…
子どもが描く絵みたいでした
理由は
① 監視・情報収集
② 宣伝(豊かさの演出=見せる村)
③ 心理戦(「常に見ている」)
等だそうです
敷地内には⚠︎ MINE(地雷)の表示も。
地図上の一本線では想像しづらい静かな緊張が
足元から伝わってきます~
***
ニュースで話題になった
「ごみ風船」の中身の写真や
相互に流された爆音の録音を聞きました。
韓国はK-pop、北朝鮮はホラー映画のような不気味な音でした。
画面越しでは実感が乏しかった出来事も
緊張の度合いが現実の重さとして迫ってきます。
▼ 現地に残る銃弾

『愛の不時着』の舞台
ドラマで描かれた(とされる)地点も見えました!
ソン・イェジンが不時着した場所
ヒョンビンが暮らしたとされる地区
そして「それぞれの国へ戻る」場面の境界線。
作品は演出だけど
監視・標語・地形処理などのディテールは
現地の空気感と大きく乖離していないように感じました。
物語が一層立体的に。

💔 南北境界線は、
現実の「軍事境界線(MDL)」であると同時に
物語上の「心の境界線」でもあります。
あぁ…涙!!!
見直そう。。
韓国侵攻用トンネルを歩く
北朝鮮側が掘った
第3の「侵入トンネル」にも入りました。
1978年に発見(最近‼)。
全長約1.6kmで、観光客が歩けるのは韓国側の約260m。
伊豆の金鉱山トンネルは通ったことがあるけど
これは侵攻用。怖いよ~~
▼ このオブジェは
南北統一、世界平和を願うシンボルだそう

北と南で分断されていて、
それらを一つにしようと人々が押しています
私も願いをこめて強烈に押してきました!
② 「兵役」をどう捉えるか——
現地で見えてきた視点の変化
出発前は
「若い人が学業や仕事を中断するのは気の毒」
と思っていました。
けれど、
休戦という名の緊張が日常のすぐ隣にあり
背後に大国の影が感じられる現実に触れると
「国として万一に備える」という必要性も感じました。
服務期間が以前より短くなってきているそうです。
制度は今も調整が続いていて、
誰かの人生を止めるためではなく、
どうにか続けるために、
社会全体が折り合いを探しているのだと感じました。
▼若い軍人さんをよく見かける
これはソウル駅前

感想
「同じ歴史と言葉を分かち合うのだから、一つになれたらいい」
——韓国に来る前の私は、正直そう思っていました。
けれど現地で感じたのは
声を潜めるような静かな緊張。
そこには、
過去の痛みや安全の問題、
暮らし方の違い、
世代ごとの温度差が折り重なっていて
「すぐに」「簡単に」は進まない現実がありました。
胸がキュッとなります。
私が出来るのは
「知ろうとする姿勢」を手放さないこと
そして、子どもたちに“遠くの話”としてではなく
“となりの出来事”として伝え、小さな疑問を一緒に考えること。
南北の境界線がいつか薄くなる日を願いながら
今日できる理解と対話を少しずつ重ねていきたい——
そんな思いを持ち帰りました。

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